この讃岐醤油画資料館は、真面目にふざけている作家と、やはり真面目に酔狂な道楽をきわめている社長との、偶然の出会いによって生まれた。

展示を見終わって、おそらく、多くの観客のみなさんは、狐につままれたような気持ちでいるのではないか。

え、昔の人は、醤油で絵を描いていたの? 弘法大師は、醤油画の元祖だったの?
え、鎌田醤油は高いお金を払って「醤油画」を集めているの?
え、小沢剛という人は、「醤油画」の歴史を調べている人なの?
え、この「現代美術作家」はふざけてるの? それともなにかむつかしいことを訴えようとしているの?
 
そんな観客のみなさんに、私がここでわかってもらいたいのは、このアーティストとパトロン双方の「真面目」の中身なのだが、その前に、偶然の出会いの経緯をまず説明しておこう。
 
鎌田醤油株式会社の鎌田郁雄社長は、1999年の春にオープンした福岡アジア美術館を訪れた。東大工学部の大学院で建築史を学んで、なぜか醤油メーカーの社長になった鎌田さんだから、まずはこの美術館の建築、そしてこの一帯の再開発プランに興味があったようだ。開館記念展は、「第一回福岡アジア美術トリエンナーレ」。日本、中国、台湾、韓国はもとより、ブルネイ、ラオス、ブータンといった国々の、普段はまず目にすることがない、ほとんど日本では紹介されていない作家にまで、丹念に目配りをした企画だった。
 
この時、鎌田社長には、建築以外にひとつのお目当てがあったそうだ。中国の現代美術作家、徐冰(シュ・ビン)。漢字を素材としたコンセプチュアルな作品で知られる、1955年生まれの作家だ。天安門事件以後に渡米した作家の中では代表格で、中国の現代美術に対する影響力はかなり大きい。社長が、なぜこの作家に興味をもったのか、私はいまだよく知らないが、そんなお目当てとは別に、この「現代美術のアジア大会」日本代表選手のひとり、小沢剛の「醤油画資料館」に出会ったわけである。
え、醤油画!?・・・
 
鳩が豆鉄砲を喰らったような鎌田さんの顔が、目に浮かぶ。この時まで、鎌田さんは、小沢剛という作家のことも、ましてや、この作家が醤油で絵を描いているなどということも、さらさらご存じなかったらしい。徐冰の作品を面白がるぐらいだから、鎌田さんは、漠然とした現代美術のスカしたインスタレーションのイメージは持っていたはずだが、そこでいきなり醤油メーカーの社長さんが「醤油画」にぶちあたってしまったわけだ。なんと愉快な偶然だろう。
 
鎌田さんは、この美術館で、すぐさま、小沢剛の作品を売ってくれないか、と掛け合ったそうだ。「え、」から、「やってくれるな、こいつ」まで、たぶん5分もかからなかっただろうが、いきなり学芸員に掛け合うところがすごい……。さすが社長である。だが、美術館としては、これは売りものではございません、ということで、鎌田さんは福岡から坂出に帰ったのだった。
 
さて、これからの展開が速い。鎌田さんは、小沢剛とは何者か、あらゆるつてをたよって、調べたらしい。地元で現代美術の画廊を営む佐野真澄さんを通じて、これまで何度か小沢剛の個展を開いている東京のオオタファインアーツと連絡をとり、作家本人にも接触した。あれを売らないのなら、つくらせてしまえ、ということで、わずか数カ月のうちに、この「讃岐醤油画資料館」が完成したのだった。
 
福岡アジア美術館の展覧会には、私も東京からわざわざ見に行った。アジアの近現代美術に焦点をしぼった、全国初の大規模な美術館として話題になっていたし、小沢剛の存在も、やけに気になりはじめていたからだ。さらに、この美術館のすぐ近くの三菱地所アルティアムというギャラリーで、私が最近、ぞっこん惚れ込んでいる作家、会田誠の個展「道程」が開かれていたから、飛行機でとんぼ返りで見に行ったのだった。ちなみに、小沢剛と会田誠は、東京芸大の同級生。お互いに「親友」と呼び合っている仲。彼らは、同じ年齢の作家たちのグループ「昭和四十年会」のメンバーであり、いわゆる「現代美術」の世界では、このところもっとも注目されている存在である。
 
小沢剛が参加する「昭和四十年会」が制作したカタログの最初のページには、「オレたちは昭和四十年にうまれた。ただそれだけだ」という、会長・松蔭浩之の宣言がある。たしかに、彼らの方法やありかたはまちまちだ。小沢のように醤油で絵を描いている奴もいれば、会田のように「戦争画」にこだわっている奴もいる。松蔭のようにロック・バンドを組んで美術館でライブをやってしまう奴もいれば、土佐正道のように、「明和電機」として吉本興業に所属する奴もいる。
 
だが、私が彼らに共通する美質としてここで強調したいのは、その「真面目さ」なのである。そして、その「真面目さ」を支えているのは、彼らが共有している、「美術」というシステムそのものに対する異議申し立てを、腹を括って表現していこうという姿勢である。

小沢剛は、この「醤油画資料館」で、いかにも田舎の国道沿いにありそうな、カビの生えそうな「美術館」を、思いきり茶化してみせた。入口には、生活臭あふれる扇風機や湯沸かし器を据え付けた。いかにもありきたりなカレンダーを貼ったり、わざとらしい湿度計を置いたりもした。醤油で模写された雪舟の掛軸の前で、密教法具を置いて揮毫するのは、弘法大師の人形。鎌倉時代の「後鳥羽上皇像」、桃山時代の「南蛮屏風」、江戸時代の曽我蕭白の「達磨図」から、近代の萬鉄五郎、坂本繁二郎、東郷青児、はては戦後の「前衛」、秋山祐徳太子、草間彌生、篠原有司男まで……。彼が理解している「美術史」を、醤油で描いて、「真面目」にコケにして見せた。その際に、醤油という素材は、西洋からのお仕着せである「美術」というシステムをリセットするための、ドメスティックなシンボルなのである。
 
一応、「美術史」の、それもかなりカビ臭いところに身を置いている私としては、こんな挑発的な「作品」に対して、怒らなくてはいけないのかもしれないが、他ならぬ私自身が、「美術史」や「美術館」の嘘臭さに敏感になっているから、福岡で初めてこのコンセプトに接したときには、かなり笑った。そして、数秒後に、少し悲しくなった。さらに、坂出でこの讃岐バージョンを見たときには、ご丁寧にも鎌田醤油オリジナルのホーロー看板(田舎をまわって調達したらしい)などが加わっていることに、妙にニンマリしたのだった。
 それにしても、小沢剛はふざけているのである。社長から結構な制作費をもらって、「真面目」にふざけているのである。それを社長は、これまた「真面目」に受けとめて、こんな代物を永久展示しようとしているのである。この微妙な関係は、後世の美術史を悩ませるに違いない。
 
バブル以来、「企業メセナ」などという嘘臭い美名のもとに、中身がスカスカの「美術館」が雨後の筍のようにつくられたが、それらはいずれ淘汰されていくと思う。現に、デパートの「美術館」は次々に「閉館」しつつある。この「讃岐醤油画資料館」が、社長が死んだ後にどうなっているのか、ちょっと想像がつかないが、この素敵な道楽が語り継がれていくのはいいことだと思う。少なくとも、この不思議な空間は、「保証された価値」としてではなく、偶然の出会いをきっかけに「選びとられた価値」としてつくられたのだから。

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